​それでも役者なの?

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1、生まれた時から役者です。

生まれた時から役者です。
「何時ごろから芝居をやってるんですか?」と聞かれた時、私はいつもこう答える事にしている。
確か保育園の「おゆうぎかい」で「花の彰義隊」を上演した時が初舞台だったと思う。
それ以来、小学校ではその頃、毎年年度末に「学芸会」なるものが開かれ、私も毎年なんらかの形で舞台に上がり、5年生の時にはついに主役を演じていたのである。
中学校も高等学校も「演劇部」なるものはなかったのだが、やはり毎年1回は「予餞会」とか「文化祭」とかで必ずなんらかの「舞台」に立ち、大学は演劇をやる為に早稲田に入り、演劇をやる為に退学した。
その後いろいろな劇団での舞台にも立ち、自ら劇団を作ったり壊したりして今日に至っているのである。
こんな事を話すと冗談のように思えるのか「いや、ちゃんと始めたのは何時ごろなんですか?」と必ず聞かれる。
しかし、プロとアマチュアの境界があいまいな演劇の世界では、何を持ってして「ちゃんとした芝居」と言うのかは、ほとんど当人の認識しだいなのである。
そして私の認識としては、やはり保育園で上演した「花の彰義隊」が、演劇の最初の経験であり、当時すでに「演じる」と言う事を明確に意識していたのである。
両親などの話によると、傷付いた兵士を演じるのに、足を引きずりながら、なんと片目を開けていたと言うことだから驚きである。
つまり負傷兵だから片目をやられた演技をしていたわけだが、私の記憶ではこの時、開いている方の片目で観客に見られている事を感じていたのだ。
保育園といえば、いわゆる物心が付く最初の年齢であり、それ以前の記憶はかなりあいまいなので、私の中では最も古い記憶として、この時の初舞台はあるのだ。
それを考えると、やっぱり生まれた時から役者だったというのが、正直な返事のようだ。
そしてその時から現在に至るまで、実は舞台に立つという感覚はほとんど変わっていない。
開いた方の片目で観客を感じながら、つぶった方の片目で演じている自分を感じているのである。

2、子育てのようなもの?

よく「役者と乞食は、三日やったらやめられない。」とか「一度スポットライトを浴びると、それが病みつきになる」とか言われる。だから私もある時期までは、芝居をする言い訳として「芝居は麻薬のようなものだから」と言ってきた。
しかし何年も芝居を続けていると、どうもこの言い訳が実感とかなりずれている事に気が付くのだ。
確かに「あの時の感覚をもう一度味わいたい」という麻薬のような部分も、全くないとは言えないのだが、日々の稽古は非常にストイックなものだし、決して楽なものでもありません。
又、芝居をするという行為はあくまでも日常の延長にあって、どんなに毒を振りまくような舞台を作っていても、どんなに絢爛豪華な舞台を見せていても、作っている側にとっては実は非常に冷静で地道な作業の繰り返しにすぎないのです。
もちろん「好きでなくちゃできない」事なのだが、どうも「好きなだけじゃできない」もののようなのである。
そんな事を感じるようになってからは、芝居をする言い訳として「子育てのようなものなんですよ」と言う事にしている。
当時、私自身は子供がいないどころか、結婚さえしていなかったのだが、この言い訳は結構気にいっていて、しばしば使う事にしていた。第一に好きじゃなくちゃできないけど好きなだけじゃできない。第二に嫌になっても決して途中で投げ出すことはできない。そして第三に目に見えないような事の日々の積み重ねによって、少しずつ育てていくものだからだ。
毎回毎回一本の公演に向けて新しい子育てが始まるとも言えるし、一生をかけて一つの子育てをしているとも言える。いずれの場合もそうなのだが、この子育て、今日成長したかと思うと明日には元に戻っていたりして一筋縄ではいかない。それなのに実際の子育て同様、生活のすべてがこの事を中心にシフトして行く。
一般に非日常とか虚業とか言われ、まるで別世界の住人のように思われがちな芝居の世界なのだが、このような答えをすると、やっと少しだけ分かってくれるような気がするのである。
そしてこの言い訳、どうも自分自身に対しても励ましの言葉となっているようなのだ。
ともすれば日常とかけ離れた作品作りに偏りがちな今、本当に子育てをするように芝居と付き合って行く事ができたら、さぞかし素敵な事だろうなと考えてしまうのである。
人としての日々の営みと、他人とのコミュニケーション、そんなささいな一つ一つの出来事を実感しながら、教えたり教えられたりして死ぬまで付き合って行く事ができたら…。
芝居をするという事は、常に人間のネガティブな部分にスポットを当てて行く行為なのだが、その分深刻になりすぎるきらいがある。そんな時にはこの「子育てのようなもの」という言葉を思い出すようにしている。
なんといっても、子育てはいつかは実るという希望と共にあるのだから。

3、人三化七という事。

人三化七(にんさんばけしち)という言葉は、いまではあまり見かけませんが、文字通り人が三分で化が七分、つまり容貌がきわめて醜いという意味で、一般的には使われている。
これがお芝居の世界ではちょっと意味が違って、この言葉、容貌ではなく精神の意味として捉えられ、いわゆる「名優」の代名詞として使われたりする。
人間にはもともと化け物の要素が必ず何分かあって、五分五分に付き合って行けるのが一番望ましいのだが、常識とか倫理にがんじがらめになった生活では、たまには六分四分くらいになる事も必要で、だから一般の人達も祭りとか宴会などで、ハメをはずしたりして調整を計っているのだ。
ところが役者の場合、舞台の上では六分四分くらいではまだまだ人の部分が強すぎて、大根役者などと呼ばれ、七分三分、つまり人三化七の状態こそ望ましいとされて来た。
逆に八分二分の状態はいわゆる「狂人」で、集団作業が必要とされるお芝居では、どうしても排除せざるをえず、また犯罪や自殺など、とりかえしのつかない事件を起こす可能性もあり、これも又困るのである。
どうもこの化七の状態から化八の状態の間に、超えてはならない一線があるようなのだが、「名優」と呼ばれたい為に化七の状態を続けているうちに、その一線を超えて「いっちゃった」役者は古くから数多くいたのである。
しかし、当然の事ながら役者が狂人になる事はあっても、狂人が役者になる事はない訳で、狂人に近づく事と人三化七になる事は全く違うのだが、どういう訳か、狂っている事が名優の証だと勘違いをし、狂っているフリをする役者などもいて、これにも又困ってしまうのだ。
往々にしてこの手の役者は、タチが悪い事に、フリをしているうちに本当に狂ってしまうという事まであるからである。
私の場合、人三化七の状態になる事はきわめてまれで、それゆえ常々「大根役者」と言われているのだが、狂ってしまっては元も子もないので、六分四分の状態に甘んじ、その状態を続ける事で、人三化七になる瞬間を待っていると言えるだろう。
そして人三化七の状態から、化八に行かずに戻ってくる為の、最後の一本の神経がどこにあるのかを探っているとも言える。
別に名優と呼ばれたい訳ではないが、もしその方法が見つかれば、あちらとこちらを自由に行き来できるようになるかもしれないと、ひそかに期待しているのだ。
古くからシャーマンと呼ばれる人達は、多分その方法を知っていたのではないだろうか?そして、そんなふうに自分の神経を自在に操る事ができたら、それこそが究極の役者なのかも知れないと思うのである。
しかし、いつかはそんな役者になってみたいというのは、どうも私の見果てぬ夢のようで、その為にはまだまだ自分という人間を探求する作業が必要なようなのである。

4、役者の秘密。

一般に役者のうまいへたには個人差があるのだが、一人の役者の中でもその役者なりに良かった舞台とひどかった舞台、いい演技ができた日とそうでなかった日が必ずあるものである。
誰しも自分の姿は正確には見る事ができないので、他人の演技を見て類推する事になるのだが、すごく良かった日にその事を役者に伝えると、意外な返事が返ってきたりする。
「今日は朝からすごい熱で舞台に立っているのがやっとだった」とか、
「この現場最悪で、もう早く終わらないかと、そればかり考えていた」とか、
中にはひどい生理中だったり、失恋のどん底状態だったりする役者もいて、とにかく精神的に最悪だったり、肉体的に最悪だったり、とてもいい演技をした役者とは思えないような返事にとまどう事がしばしばある。
逆に本人が今日は最高のデキだったなどと思っている日に限って、とても誉められたモノではない演技をしていたりもする。
どうも役者自身の心身状態と舞台上での演技の優劣は反比例するようなのだ。
日常生活での抑圧が舞台上で開放される、あるいは肉体的精神的痛みによって余分な力が削ぎ落とされる、と言ってもいい。
勿論どんな役者でも、いつも同じようにベストの演技を目指しているわけだが、役者も生き物だから、その日の精神状態や肉体状況が微妙に演技に影響をおよぼし、観客はそれを嗅ぎ取ってしまうということなのである。
ではどのようにして自分自身をそんなギリギリの心身状態に持っていくのか?
当然いつも高熱がある訳ではないし、できれば楽しい現場でやりたいのだから、なんらかの方法で自分自身を騙す必要があるのである。
この方法については、役者それぞれによってさまざまで、一人の役者の方法が他の役者に通用するとは限らないし、昨日うまくいった方法が今日もうまくいくという保障もないので、日々それぞれの役者が考えているといった状態である。
本番直前までエロ本を読むのがその方法であったり、前日になるべく深酒をしてあまり寝ない事がその方法であったり、中には願懸けやお経を唱える役者までいて、はたには決してお見せできないようなシロモノだったりするのだ。
とにかく思い付く限りのとんでもない方法をあみ出し、日々悪戦苦闘しているのである。
だから、いい演技をする方法を尋ねられた時、私はこう答える事にしている。
「それは役者の秘密です。」と。

5、おはようございます。

私達お芝居の世界では、常にこの「おはようございます。」という挨拶から始まります。
たとえ集合時間がお昼過ぎであろうと、夜中であろうとけっして「こんにちわ。」とか「こんばんわ。」とは言わず、どんな時間でも「おはようございます。」なのである。
これは水商売では共通のようで、夜出勤するホステスなども「おはようございます。」と言うそうだから、お芝居の世界だけの話ではないらしい。
もともと徒弟制度とか家元制度とかによって受け継がれてきた芸事の世界ならではの習慣が、かたや花柳界へ流れ、もう一方では梨園、舞踊界に流れたのではないかと、勝手に推測しているのだが、詳しい発生は分からない。
概してお芝居の人は、他のアート(美術、音楽関係)の人に比べると、共同作業が必要な分、時間には正確だし挨拶も礼儀正しいのだが、(どの世界にも例外はいるけど・・・)それだけに挨拶に関しては先輩などから厳しくしつけられる訳で、これは封建的な因習をほとんど抱えていない小劇場などでも、全く同じ状況なのである。
テレビでも夜の録画の時に同様の挨拶をしていたりするから、その影響もあるのかも知れない。
それにしても何故いつも「おはようございます。」なのか?
私達役者はほとんど無意識にこの挨拶をしてしまうのだが、よく考えてみるとこの言葉、実はもう少し深い意味が込められているのではないだろうか?
眠りが一日の死だとすれば、起床は再生の時である。
だから生活の中で起床時の挨拶として使われるこの「おはようございます。」実は再生の挨拶でもあるのだ。
そして役者にとって日々の稽古や本番は毎回新たな生を生きる事なのだから、その最初の挨拶が「おはようございます。」になるのは当然の事なのかも知れない。
たとえその時間が夜であろうと、別の仕事を済ませた後であろうと、その現場においては役者として再生する事が必要で、その為の宣言とも言えるのである。
こうして考えてみると、いつもはなにげなく使っている言葉なのだが、また別の輝きを感じてしまうから不思議である。
そしていつも新たな気持ちで舞台に立つ為に、今日も新鮮な気持ちでこの挨拶をするのだ。
「おはようございます。」

6、恋。

一般的な経済原則からは落ちこぼれている役者達も、人並みに恋をする機会にだけは恵まれている。
それは一緒に公演をする仲間同士だったり、打ち上げなどで知り合った別の劇団員やその友人だったり、とにかくいろいろな人との交流の機会には事欠かないからである。
なかにはそのまま結婚してしまうカップルもいるのだが、やはり結婚となるとお互いの親の意見や、将来的な経済環境の問題もあり、なかなかうまくいかない事が多いようである。
しかし、それ以上に役者であるがゆえの「因果な性格」が、より一層婚期を遅らせている原因なのではないかと常々思っている。
俗に言う「芸の為ならー女房も泣かすー♪」というヤツである。
別にこの歌のように「女遊びも芸のコヤシや」などと言うつもりはないが、いい芝居を作りたいという想いが、付き合っている相手を結果として傷付けてしまうという事が、しばしば起こるのである。
「役者の秘密」の所でも書いたように、いい演技の為にはなんらかの形で自分を追込んでいく作業が必須で、いきおい自傷行為に近い事まで考えて舞台に臨んだりする。
そんな時に自分の傷をなめてくれたり、あたたかく包み込んでくれたりする恋人の存在は疎ましく感じるし、平和で良好な二人の関係には嫌悪感を抱いたりもするのだ。
そんな精神状態だから、けんかは絶える事がなく、その原因が自分にあるだけに、ますますみじめになり、でもそのみじめな精神状態の方が、舞台上では望ましいかもしれないなどと考えてしまうものだから、これはもう最悪である。
そんなこんなで、相手から愛想を尽かされて、別れたりするのだが、その失恋の悲嘆に暮れながらも、心のどこかで「これで次の芝居はうまく行くに違いない」などと考えていたりして、いやはや、なんとも救いようがない。
しかもこんな事は、因果な性格の一つのパターンにすぎなくて、他にも現実と虚構の境目で自分を持て余すパターンや、芝居以外の事が全く見えなくなるパターンなどいろいろあって、とにかくそんな役者と付き合っている恋人こそいい迷惑なのである。
私自身、最近でこそ、そんな自分をごまかす方法を覚えたのだが、気が付いた時にはもう40才を越えていて、こんどはそれを実践する機会が少なくなってしまった。
(幸い、この文章を書いた直後くらいに、ネットでの稀有な出会いがあり、そのおかげで現在は二人の子供を持つ幸せな家庭を得た。)
しかし恋に年齢は関係ないし、根本的には長年にわたって染み付いたこの因果な性格が変わった訳ではないのだから、これから先の「老いらくの恋」にも十分な注意が必要なのかもしれない。
そんな事を考えると、ますます婚期(?)が遅れてしまうのである。

7、なにもない空間。

これはイギリスのロイヤル・シェークスピア・カンパニーの演出家、ピーター・ブルックが40年以上前に使った言葉である。
演劇にはごてごてと並べ立てたセットも豪華な衣裳も、照明や効果音さえ必要なく、ただ演じる者と観る者さえいれば、演劇として充分成立するとしたのである。
このピュアーな考えは、低予算でも公演ができるという理由もあり、日本でも当時盛んだった小劇場の演劇人達に圧倒的に受け入れられた。
つまり演劇が成立する最も基本的な要素以外をすべて削り落して、そこから立ち上がってくるものを抽出しようという思想である。
ところがこの方法、完全な真空状態を作り出すのと同様、観念的には分かるのだが、実際には非常に困難を極める。
まず、当たり前だが「なにもない空間」などという場所はどこにもない。その為に真っ白な箱のような場所で演じられたりするのだが、そこには白いパネルがあったりして、「なにもない」とはどう観ても思えないし、むしろ非日常的な空間でさえある。
衣裳も普段着で演られたりするのだが、普段着にも意味は付いてしまう。かといって裸になれば、ますます別の意味が感じられる。
照明や効果音にしても同様で、なにもしなくてもなんらかの照明や効果音は(たとえそれが自然のものであっても)そこにあって、それぞれにやはり意味を持ってしまうのである。
演劇に向かい合う姿勢としては、非常に魅力的な思想なのだが、残念ながら具体的にそれを実践した演劇は、ブルック本人の演出したものも含めて、私は見た事がない。
では、いったい演劇はどんな場所でどのように行なわれるべきなのだろうか?
実は、私は演劇はどんな場所でもできると思っているし、どのように行われても構わないとも思っている。
つまり「どこでもいいどこか」(実際の演技が行なわれる場所)が「どこでもないどこか」(観客の想像の中で立ち上がる虚構の場所)に変質する瞬間こそが演劇なのであって、その観客の想像を立ち上がらせる為には、どのように行われてもいいのだと思っているのだ。
それじゃあ、答えになってないって?
そう、この考えもブルックの「なにもない空間」同様、演劇に立ち向かう姿勢を言っているだけなのかもしれない。
しかし、ブルックのようにストイックになるのではなく、すべてが許されている状況から、常にスタートしたいと思っているのだ。そこにこそ演劇の持つダイナミックな猥雑さが潜んでいるのだから。

8、士農工商犬猫役者。

言うまでもなくこれは差別用語です。
犬猫は冗談としても、実際に江戸時代には役者は餌取(エタ)非人と同様、最下層に属していた。歌舞伎座なども明治時代になって政府の保護のもとに現在の場所に移る前は、いわゆる川向こうにあったのだ。
こうした事は、多分日本だけではなく、ジプシーとか旅芸人という言葉があるように、定住しない放浪集団としての役者達がいて、普段の生活に非日常を持ち込む存在として、ある種の憧憬を含みつつも忌み嫌われてもいたに違いない。
現在ではほとんどの国で、社会的な意味あいから、その差別的な境遇を取り払われて、一般社会に取り込まれたかに見える。社会のそうした方向に異を唱える気もないし、ここで差別問題を扱う気もないのだが、政府に保護されるようになって、歌舞伎が衰退した事も又事実である。
歌舞伎がもう一度復活するには、その事を再認識する必要があると思われる。
では、現代劇の舞台制作の場では、役者はどのように扱われているかというと、やはり犬猫以下のような気がする。もちろん色々な上演形態があるし、劇団によってもさまざまだが、私がいた劇団ではそうだった。
あえて士農工商に当てはめれば、武士同様前面に立つものとしての劇作家や演出家がいて、農民のような善男善女の観客がいる。工として技術スタッフがいて、商としての制作がいる。そして役者は犬猫以下だったと言える。
ただし、ここでは常に大どんでん返しが存在し、最も最下層の役者が舞台上ではスターとなるのだ。
そして、実は私はこの構造が気に入っている。
すでに「河原乞食」という言葉が死語と化した現状では、せめてその制作現場では虐げられるべきで、抑圧された存在として、舞台に臨むべきではないかと思うのだ。
舞台上で高くジャンプをする為には、より低くしゃがむ必要があると言ってもいい。
まあ、今後ますます画一化していく人間関係の中で、実際にはそんな現場は望むべくもないのだが、役者個人の舞台に臨む態度としては、常にそうした意識を持っていたいと思うのだ。
そして、さなぎが蝶に孵化するように、その抑圧をエネルギーに変え、舞台の上で思う存分羽ばたきたいのだ。
たいていの伝説と呼ばれるような役者や舞台は、そのようにして作られてきたのだから。

9、身体(からだ)という名の楽器。

役者の演技を演奏に喩えるなら、役者の身体は楽器であるとも言える。
ただしここでややこしいのは、役者自身がその楽器の演奏者でもあると言う事だ。
通常役者達は稽古や本番に臨む前に、必ずその楽器たる自身の身体を調整する時間を持つ。いわゆる身体訓練とか肉体訓練と呼ばれるもので、準備体操から柔軟運動、呼吸・発声・発語などの調整まで、さまざまな方法で舞台に上がる為の身体を作る。
役者が若いうちは、まるで運動部のやる筋肉強化運動のような事までやったりして、楽器作りに励む事さえある。実際若い頃は、いきなり稽古に入ると無理をしてケガをする事もあるし、演技から余分な力を抜くと言う意味でも、それなりの効果はあるのだ。
ところが、歌手とかダンサーとかなら、その楽器の性能がハッキリしている(何オクターブ出るとか、何回転できるとか)部分があるのだが、役者の身体にはその性能をはかるものさしがない。
そのため楽器の性能を上げる事より、演奏者としての感性を磨く事に走り、むしろその楽器たる身体を壊すような不摂生をしてみたりもする。
役者の難しさは実はここにある。
つまり楽器としての身体を磨いたり鍛えたりする事が、必ずしも演技力に結びつかない事と、演奏者たる役者の感性の磨き方によっては、楽器自体を損なう事もあるという事だ。
しかもそんな傷付いた楽器の方がむしろ良い結果になる事さえあったりする。
だが、一度損なわれた楽器を修復するのは非常に難しい。
そしてそんな葛藤の中で自傷行為を繰り返して身体も精神もボロボロになってしまう役者も数多くいるのだ。ばかげているように思われるかもしれないが、役者の身体と精神を作る方法論が確立されていない為に、さまざまな模索を繰り返しているのである。
本当は役者にとって鍛えるべきは、この身体・精神のどちらか一方ではなく、その両者の接点たる「神経の部分」なのだとは思うのだが、ここを鍛える方法もいまだよく分かっていない。
この「神経の部分」がしっかりしてさえいれば、楽器がどんな状態であろうと、演奏者がどんな状態であろうと優れた役者たりうると思っているのだが…。
そしてその事がもう少し明確になるまでは、この楽器たる身体を維持する作業を続けなくてはならない。神経はその身体の最も基本となる弦なのかも知れないのだから。
たとえそれが、日常から舞台という虚構に入る為の儀式にすぎないとしても。

10、「ある」と「なる」について。

役を演じることは役に「なる」ことである。
劇作家の岸田理生のテキストの中にこんなセリフがある。
「おまえは誰だ?」
「誰でもないわ。これからなって行くの。」
この誰でもない状態が役者であり、なって行くのが舞台上の役である。
ところがこのセリフ、誰でもない状態が人間であり、なって行くのが固有名詞の私であると言う事もできる。
つまり、役に「なる」とは舞台上での私探しの旅でもあるのだ。
自分が間違いなく自分で「ある」と思えるのは、かなり楽天的な性格としか言えない。本当の自分がどこに「ある」のかは、誰にも分からないのだから。そして、それを知りたがるのもまた、人間の身の程知らずの欲求だ。
役者はそのアプローチを役に「なる」ことによって確認しようとする。
例えば同じハムレットと言う役をやっても、役者によって実にさまざまで、そのどれが正しいということは言えない。つまり役はもともと「ある」ものではなく、一人一人の役者が「なる」ことによって初めて成立する。そしてこの時、役者は役に「なる」ことによって、それぞれ固有名詞の私で「ある」と言うことが出来るのだ。
どこにも実体のない宗方駿という役者が、ハムレットに「なる」ことによって、宗方駿で「ある」ことができるようになるということだ。
もっとも私のような大根役者は、なかなか役に「なる」ことすらできずに、せいぜい「なろうとしている」状態で終わってしまう事がよくある。
もともと誰でもない私のハズなのに、自我なるものが「ある」などと勘違いをして、役をまるごと受け入れる事ができなかったりする為である。
「誰でもないわ。これからなって行くの。」
なかなかできない事だが、なんとかこのセリフのような状態で、どんな芝居にも臨みたいと思ってはいるのだが…。
万物の真理がただ流転(つまり変化する事)にあるとしたら、この「なる」という事こそ私探しに最も有効なのだと思う。
「なる」とは意志であり、世界は意志によって成り立っていると考えているからだ。
(この話もう少し考えをまとめてから続きを書く予定。)

11、けんか。

お芝居の世界がおどろおどろしく見える理由の一つに、男女関係の複雑さと喧嘩の多さがあると思う。
特に若い頃にはそれが激しくて、はたから見れば非常識きわまりない集団に感じるのも致し方ない。
なにしろ、稽古が終われば飲むし、本番が終わればのむ。千秋楽が終われば「打ち上げ」と称して朝まで飲みつづける。心が開けば恋愛関係もストレートになるし、飲めばたいていは喧嘩が始まる。
しかし、こと役者に関しては、喧嘩が日常茶飯事になる理由は酒のせいだけではなく、もう少し別の所にもあるようだ。
誰しも感情を表に出す時、気持ちを増幅させる事はよくあるし、お酒でも入れば益々おおげさになると思うのだが、この増幅という作業、役者が最も得意とするところなのである。
役を演じる時、自分に全くない感情を表出するのは困難で、自身の中にある感情の芽のようなものを増幅させる事で役にリアリティーをもたせる。ところが劇中の人物はたいてい極端な状況に置かれている事が多い為に、かなり激しく増幅しないと間に合わない事が多いのだ。
舞台上でのこうした訓練のおかげ(?)で、日常においても感情を増幅する事は比較的たやすい事で、とくにケンカの時のように、売り言葉に買い言葉的状況では、かなりおおげさに感情を表出したりする。
ただ役者の食えない所は、そんな状態でも常にその状況を冷静に見ているような所がある事だ。
殴り合いの喧嘩をしていても、ビール瓶を振り上げたりして、これは傷害事件になるかと思いきや、「ケッ」と相手を見下したように薄笑いを浮かべてやめるとか、30cm程はずして投げつけるとか、仲裁に入る人間を仁王立ちで待っているとか、まるで舞台上で演技をしているようなのだ。
始めのうちは心配したり仲裁に入ったりしていた人も、そんな事が何度も続くとだんだん誰もとりあわなくなって、そうなると喧嘩するはりあいもなくなって途中でやめてしまったりもする。つまり人目はいつも気にしているのである。
こうした感情の増幅が恋愛に向かったりしても同じで、やはりどこか芝居じみていて、はたから冷静に見ていると、激しい感情のやりとりをして楽しんでいるだけのようにも思える。
そして、だんだん自分でも自分の本当の感情がどの程度で、どこからが増幅している感情なのかが分からなくなってしまい、純粋な意味での喧嘩も恋愛も出来なくなっている自分に気が付くのである。
心と感情を開放する事は役者の基本的な作業なので、純粋に感情をぶつけ合った喧嘩や恋愛をしているように一見見えるのだが、実はこの感情の増幅と言う作業と、自らを冷静に眺めるという作業の為に、かなり複雑で歪んだ関係の取り方をしてしまっているのが役者なのだ。
つくづく因果な仕事だと思う。

12、完全暗転。

確か1974年だったと思う。
寺山修司率いる演劇実験室ー天井桟敷は「盲人書簡」という演劇で、上演時間のほとんどを全くの闇の中で行なう事によって、観客の瞼を縫い閉じた。
観客は闇の中で挑発して来る役者達に怯えたり喜んだりしながら、闇がもたらす見えない演劇に想像力を膨らませた。
私が「完全暗転」というものに出会ったのは、この公演が最初だったのだが、以後、自分達の劇団でもいつもこの「完全暗転」を使う事になる。
だから、いわゆる劇場で公演をする時、一番気を使うのが「非常灯」や足元の「誘導灯」の消し方であり、倉庫などでの公演の時は、外界からの明かりもれのチェック(特にマチネ公演の時)だった。消防法などの規制でいつも劇場ともめていた記憶がある。
ただ「完全暗転」の使い方については、ともすると安直になり、舞台装置の転換を見せない為であったり、役者の出入りの為であったり、つまりはシーンとシーンの繋ぎ目に用いる事が多かった。
それまでの舞台では、転換が見えてしまって興ざめしてしまう事が多かった為、この方法は私の劇団だけでなく、小劇場では実によく使われ、現在ではその事に配慮してくれる劇場もある程に普及したのである。
ただその為に観客もこの方法に、もはや慣れっこになっていて、暗転が来ると一息入れたりして、私が「盲人書簡」で感じたような緊張感など全くなくなってしまったようだ。
「完全暗転」というものが観客の中で事件にならなくなったのである。
世の中に電気が普及する以前、夜は月と星と火を除けば完全なる闇だった。電気が普及した後もしばらくは、部屋を閉め切ってしまえば真暗な世界を容易に作る事が出来たものだ。
ところが現代の都市生活の中では、家の中でも外でも意図しない限りは全くの闇は有り得ない。ライトを消してもスイッチに明かりが点くし、テレビ・オーディオすべからく時間などの表示が光っているのだから。
完全なる闇というのは、それだけに現代人には得難い経験であり、いざその中に身を置くと、恐怖感から視覚以外の感覚が異常に鋭くなり、想像力が自分の内側に入り込んで行くのが分かる。
この最も基本的な感覚を取り戻す為に本来「完全暗転」は使われるべきで、シーンの転換にこれを多用すべきではないのかもしれない。
人類の歴史のうちの半分は闇だったのだから、演劇においても闇は最も重要な要素であり、それは現在も未来も変る事がない。
やはりもう一度「盲人書簡」の時の原点に立ちかえって、「完全暗転」という方法を考えて見る必要があるようだ。
完全なる闇の中から、一筋の火が点され、そして出来事がはじまる。
これは演劇の一つの基本だと考えているのだ。

13、貴種流浪の旅。

物語にはいくつものパターンがあるのだが、「安寿と厨子王」に代表される貴種流浪の旅というパターンは、中国、韓国、日本には数多く見られる。
もともとは皇族あるいはそれに類する高貴な血筋でありながら、時代の歯車が食い違った為に、艱難辛苦の旅を続けるという物語である。
この物語の醍醐味は、もちろん最終的に彼等が復権する所にあるのだが、もう一つ見逃せないのが旅の途中で出会う人物が、彼等の本来の姿を知らずに虐待したり、救ったりする姿である。
氏素性を隠す事で、人間本来の姿を垣間見る事ができ、王たる者、こうした姿を知らずには、仁政は行なえないとでも言っているようだ。
物語だから当然とも言えるのだが、彼等は王族という最高の地位にいるか、最下層の被差別民としているかのどちらかで、決してその中間でいる事はない。
そして最後に晴れて復権という事になり、その後は慈愛溢れる政治で民を救いました、という結末になる場合が多い。
つまりこの物語は最下層の被差別民こそ、この世の中を救う貴種たりうると語っているようにも見えるのである。
そしてこの物語の構造は、そのまま役者のあり方に当てはまるのではないかと私は思っている。
最下層で虐げられる事が、人間の本性を知る最善の方法で、だからこそ、役者は常に河原乞食でいなくてはならないのではないだろうか?
少なくとも中間の庶民でいる事は許されないのかもしれない。
さまざまな場所を経巡って旅をする状態も、役者の自分探しに似ていて、いつ果てることもないように見える。
彼等にはいわゆる「世が世なら」と思う強靭な意志があり、「いつかきっと」と言う反発力を支えに、数々の虐待を耐え忍ぶ事ができる。
立場としては少し違うのだが、この強靭な意志と不屈の精神が必要な事も、また役者としての最低条件だと言える。
そして、最後には晴れて復権を遂げるのだが、これもまた役者に与えられた使命だと言っても過言ではない。
役者にとっての復権とは、舞台の上で華を咲かせる事である。

14、滅茶苦茶やってみる。

公演の為の稽古の場合、まず「本読み」という段階で台本の内容をとらえ、次の「立ち稽古」で実際に動きながら演技を模索する、というのが一般的だ。
しかし、私達役者は公演がない時にも、「エチュード」とか「ワークショップ」とかの名前で日常的に稽古をしているのである。
主に集中と開放の為の稽古なのだが、実にさまざまな方法で、集中力をつけたり体と心を開放させたりする。
そんな中で「何でもいいから滅茶苦茶やってみろ!」と言われる事がある。
心身の全面開放と言う意味なのだが、これがなかなか難しい。
というより、これはほとんど不可能といってもいい。
自分を晒け出す事をけっして厭わない役者でも、やっぱり人の子、どこかに自我なるものもあるし、計算などと言う事もしてしまう。
それに第一、自分にとって何が滅茶苦茶なのかさえよく分からないし、分かっている事は滅茶苦茶とは言わないのだから、こんな難しいことはない。
結局やり終わった後に、自分のどこが滅茶苦茶でなかったかだけが非常に良く分かる。
滅茶苦茶をやろうとすると滅茶苦茶ではなくなるのである。
ところが、そこで何か一つの法則あるいは拘束を与えて見ると、驚くほどに自由に体が動き出し、まるで滅茶苦茶にやっているように(つまり忘我の状態に)見えてくる事がある。
この時、役者はその一つの法則に全神経を集中させていて、その為に他の部分がほとんど無意識に動き出すのである。
つまり、集中と開放と言うと正反対の稽古のように思われがちだが、実は表裏一体で全く同じモノを目指しているのだ。
シャーマンというものを想像していただくとお分かり頂けると思うのだが、一つの事に集中して行けば行くほど、まるで滅茶苦茶な状態に没入して行くのである。
そして、そんな状態に入り込んだ時、いきなり自分の姿と回りの状況がハッキリと見えて来る事がある。自分が集中している事すら忘れてしまう状態で、そんな時役者は心身が全面開放した喜びを味わうのである。
実は役者達はこの状態の快感が忘れられなくて、役者を続けているのかもしれない。

15、中心と周辺。

若い頃、私には自分というものがないのではないか?と悩んだ時期がある。
そんな時、初めから自分の中心点を探すのではなく、自分というものの円周の一点を見つける事が重要で、その点を増やして行けばおのずと中心点が見えて来る、と助言してくれた友人がいた。
この助言は若い私の心を救ってくれたのだが、考えて見れば、なにもこれは私に限った事ではないようだ。
人類の歴史上、宗教者や哲学者はもちろん、優れた文学者や芸術家、はては科学者に至るまで、すべて自分というものの中心点を求めて、その周辺の一点一点を模索して来たのだった。
役者もまた同様の模索をしているのだが、役者の場合、この構造は極めて明解で、自分以外の役を演じる事を通して自分自身を知る事になる。
例えば「女」を演じる事で自分の中の男の部分を意識し、「老人」を演じる事で自分の中の若さを知る、といった具合にである。
実際自分とは正反対の役を演じる程、自分自身がはっきりと見えて来るし、普段は意識下に眠っている、自分自身の弱さとかずるさのような部分も、高潔な役を演じている時に見えてきたりして、ビックリする事もある。
当然これまでさまざまな役を演じて来たのだから、それに相当するだけの自分を見つける事が出来たと思ってはいる。
ところが、じゃあおまえの中心点もそろそろおぼろげにでも見えて来たか、と問われれば、これがますます分からなくなっている。
円の中心は一点だが、円周の点は無限大に存在する。
そして自分というものの周辺の一点も、無限にあるのだと言う事が逆に分かって来たと言う事だ。
この解決不能の問題に対しては、きっとどこかに補助線のようなものがあるのかもしれないが、未だに有効なものは見つかっていない。
しかし私はこの周辺の一点を模索する行為をやめるつもりはない。
なぜなら、自分という存在は実は一点ではなく、それぞれの周辺の一点も含めて、無数に存在するのではないかと、感じ始めているからである。
そしてそんな無数に存在する私自身の中から、それまで知らなかった私自身に出会う事。
これこそが役者にとって最大の醍醐味なのではないかと思っているのである。

16、酒。

芝居にお酒はつきものである。
大学に入って本格的に芝居をやるようになって以来、お酒の話を抜きにして芝居の事は語れない。
だいたい集団作業としてコミュニケーションを円滑にする為にはお酒ほど有効な手段はないし、役者も肉体労働だから、終演後あるいは稽古終了後のお酒は必須なのである。
このお酒というヤツ、若い頃はなかなか自制する事が難しいので、ずいぶんハチャメチャな事もやったりした。
素っ裸で大学周辺を走りまわったり、出しっぱなしになっている商店の看板やマスコット人形を持ってきてしまったり、街中で大声で歌ったり踊ったり、周辺住民にとってはいい迷惑だった事だろう。
自分達の劇団でアトリエと称する稽古場を持ったりすると、稽古後はそのまま宴会場と化し口角に沫を飛ばしながら、どうでもいいような議論をしたりもした。
もちろんそうした時間を共有する事は、お互いの親近感を深めるし、一つの作品を作る上で必要な事でもあったのだ。
終演後もお客さんを相手にいろんな意見を聞き出したり、劇団にシンパシーを持ってもらう為にほとんど毎夜遅くまで飲んだ。
挙げ句の果ては稽古で喉をつぶすのではなく、お酒で喉をやられて最悪の舞台になってしまう事さえあった。
そんな状態を何年も続けているので、ほとんどアルコール中毒になっている役者達も多い。
一方いわゆる下戸と呼ばれる役者もいて、ちょっとかわいそうだが、基本的に彼等も他人と話をする事が好きなので、けっこう最後まで付き合う人が多いようである。
そして一番困るのが、お酒を飲んで舞台に上がる人である。
宴会芸の時は当然お酒が入っているし、そうした時はその場を盛り上げる為のお酒もいいものだが、通常の舞台の上では普通お酒を飲む事はまずない。
ところがお酒を飲むシーンや酔っ払いの演技をよりリアルにする為に、実際のお酒を使ったりすると、これが癖になる事があるのである。
確かにお酒の効能として、肝はすわるしリラックスするし、何よりも体から熱気を発散させる事ができるのだが、では、いい事ばかりかというととんでもない。
役者にとって肝心の自分を冷静に見詰める目というものが希薄になるのだ。
そしてお酒を飲んでいてもなお且つこの冷静な目を失わない為には、強い意志が必要とされ、つまり飲んでも酔わない状態を続けなくてはならない事になる。
世の中にこんな悲惨な状態はないのだが、こうして身も心もぼろぼろになってしまう役者もいるのである。
いくらお酒と芝居は切っても切れない関係にあるとはいえ、舞台上にお酒を持ち込むのは要注意なのである。

17、野外劇。

演劇の起源が神に捧げる儀式として行われたのだとしたら、野外劇こそ最も古い演劇の形態だったのかもしれない。
私も今迄に3回野外での公演を経験した。(ただし、この文章を書いた時期の後、6回ほどの野外劇を経験している。)
1回目は大学時代に演劇研究会というサークルで、大隈講堂前の広場にイントレと客席用のテントを建てて、ゲリラ的に上演したもので、内容はハチャメチャな試みだった。
2回目は劇団が「利賀フェスティバル」に招待されて、富山県の利賀村にある野外劇場で上演したもので、かなりの好評をいただいた。
3回目は自らのプロデュースで横浜美術館前で行なったもので、成果の賛否はともかく満足できるイヴェントだった。
3回とも役者として舞台に立ったのだが、共通して感じたのは「すごく気持ちがいい、でも疲れる」という事だった。
単に仕込みが大変だとか、声が通りにくいから疲れるのではなく、どうも演じている時に空から「気」のようなものが降ってきて、それを感じる為に疲れ、又同時に気持ちがいいという事のようだ。
それとともに回りの風景が常に見られる為に、演じる事以前に自分の存在を、はっきりと感じる事ができるという事でもあるようだ。
お客さんにとってもこの状況は同じで、単純に劇中の物語に入り込む以前に、自分がどこにいるのかを常に思い知らされる訳で、物語という虚構の中での体験ではなく、実体験としてそこで起こる事を捉える事となり、かなり新鮮な演劇体験なのだと思う。
雨が降れば雨が、風が吹けば風が、車が走れば車がまるごと物語に組み込まれる訳で、しかもそれらはすべてホンモノなのだから、舞台上の出来事も事実として晒される事になるのである。
逆に言えば、私達が現実と考えているものが、実は一つの虚構なのかもしれないと感じる事もできる訳で、この境界の曖昧さが野外劇の魅力であるとも言える。
残念ながら現状では演劇が可能な野外の場所を探すのはなかなか困難で、しかもこの物語の構造内体験と構造外体験の境界を行き来するような野外劇にはめったにお目にかかれないのが現状だ。
ともすれば野外の空間の存在感に物語が負けてしまったり、逆に室内の劇場で行われる物語をそのまま野外に持ち出しただけだったりして、野外劇の本当の魅力を充分に出現させる事ができずに終わってしまう事が多い。
しかしいつかきっと、空から降ってくる「気」を感じながら、神に捧げる儀式のように、事実としての物語を上演してみたいと思っているのである。

18、ノスタルジア。

この言葉を日本語で説明するのは難しい。
かつてそこで起こった出来事の記憶。あるいは失われたモノ達への想い。とでも言えばいいのか。単なる望郷や郷愁とは少し違うと私は理解している。
それは絶対的な欠落と豊穣な想像力が紡ぎ出す「記憶」の世界である。
演劇もまた、再現が不可能な出来事であり、観客一人一人の想像力が作り出した「記憶」の世界だから、このノスタルジアの世界に極めて近い。
例えば主人のいなくなった外套、帽子、靴などは、そこに本来いるべき主人の事を思わせるだけでなく、それらのモノ達が主人と共に見た、あるいは体験した出来事の記憶をも内在している為に、ノスタルジアを強く感じさせるし、それらが舞台上にある時、観客に想像力を強いる非常に演劇的なモノ達だとも言える。
廃虚、廃屋なども同じ意味で、ノスタルジアを感じさせ、同時に演劇的な場所だと言える。
人間を包む入れ物は、乳母車にしても棺桶にしても、それだけでノスタルジアを感じさせるし、人間が長く使った道具には、使った分だけそれぞれ持ち主の記憶が含まれている。
だからこれらのモノ達は演劇では好んで使われる。
しかし重要なのは登場人物が、それらのモノ達が既に持っている記憶に何を付加させ、どれくらい観客の想像力を掻き立てる事ができるかという事である。
モノ達にノスタルジアがあればあるほど、そこで行われる行為は現実的でなくてはならないし、そのノスタルジアが強ければ強いほど、そこで起こる出来事は実際の出来事でなくてはならない。
でないとモノ達の存在感とノスタルジアに負けてしまうからである。
そうして見終わった後、観客一人一人の記憶に、登場人物を含むもう一つのノスタルジアが植え付けられる時、演劇はその目的を達成するのである。
演劇は虚構の世界と現実の世界の橋渡しをする行為であり、この虚構の世界とは決して作り物のウソの世界などではなく、場所やモノ達が既に持っているノスタルジアの事なのである。
ではその時「物語」はどんな役割を果たすのだろうか?
そして「言葉」の力とは何か?「語る」という行為は何故必要なのか?
それらについては次の機会に考えてみたい。

19、語るということ。

演劇とダンスの違いは言葉があるかないかであり、私達が言葉のある世界で生きている限り、演劇の方がこの世界に近く、豊饒な表現ができると、ずっと思い込んで来た。
ところがこの考えはとんでもない間違いだった事に最近気が付いた。
パントマイムや手話劇などを持ち出すまでもなく、言葉はかならずしも音声言語だけではない。
また外国語の演劇を見る時、その言葉の意味を理解できなくても内容を把握できる事がよくある。意味を把握できなくても、その人の存在と感情はおおむね理解できるのである。なぜなら、その表情と行為自体が演劇的だからだ。
つまり言葉の意味や物語の内容以上に、何かと関係を持とうとする行為こそが、言い方を変えれば「語る」という行為そのものが演劇なのだと思うようになったのだ。
ダンスの場合も関係を持とうとするダンスの場合、それは演劇的なのだと思う。
ただダンスの場合は語りかける対象が自分自身であったり、神であったりして形而上的なのに比べて、演劇の場合はその対象は、客であったり共演者であったり、そこにあるモノであったりして、かなり形而下的になりがちなのだが、その区分けさえ昨今ではかなり曖昧になりつつある。
もう一つは語る行為をアクションとして表現する時、それは演劇的であり、その行為を一つのフォルムとして様式化するとダンス的になるのかもしれない。
いずれにしても、演劇とダンスの境界はもはや明確には存在せず、両者ともに語る行為を抜きにしては表現ができないのかも知れないと思っているのだ。
考えてみれば表現とはどんなジャンルにしても、他者に訴えかける行為であり、その行為を残す事ができないという事が、舞台芸術の(音楽のライブも含めて)唯一の特徴なのだった。
ともすればセリフという音声言語に頼りがちな為に、その文学性を重要視されがちな演劇だが、実は人間が身体すべてを使って「語る」行為こそが、そしてその行為が絶対に再現できない一回性の表現であることこそが、舞台の舞台たる所以なのである。
そして私達役者は、その孤高の一点をめざして、常に舞台に命を捧げているのである。
さて、それでは「言葉」そのものや「物語」は演劇の一つの要素に過ぎないのだろうか?
実はここにも演劇的なるものが潜んでいるのだが、その事については又の機会に触れる事にしよう。

20、社会とコミットする。

1970年を境に政治の季節が終わり、その後の学生運動は派閥同士の醜い内ゲバや、挫折感からの感傷的な韜晦が目立つようになった。
私が演劇に本格的に関わるようになった1973年は、そんな70年安保闘争の残骸がそこここに置き去りにされており、闘争後の空虚な雰囲気が蔓延していた。
そんな中で演劇と関わった私の世代にとって、政治、社会、教育、などは、なるべく触れたくない問題としてあり、純粋に芸術性のみを追求した舞台だけが、演劇を続けて行く為の唯一の方法だと思っていた。
時を同じくして、私より1才年下の野田秀樹が独特の言葉遊びを武器に、大人気となり、その後の小劇場の方向を決定付けた。
もちろん私はそんな彼等の方法の軽薄さに嫌悪し、太田省吾などの純粋芸術としての演劇に傾倒して行くのだが、社会性、特にポリティカルな部分に目をつむっていたという意味では、全く同じだったのである。
結局そうした閉鎖的な感覚は、1990年前後の冷戦の崩壊と、バブルの崩壊、劇団の解散、物語演劇の行き詰まり、などを通過するまで変ることがなかった。
演劇がメディアである以上、望むと望まぬとに関わらず、社会性を内包しているのだが、演劇によって社会を変えて行くとか、大衆をマニビュレイト(教唆)して行くという事が社会性だと勘違いをして、その為に大きな誤謬を犯してしまったのだと思う。
1993年の秋に「アジア女性演劇会議」が日本で開かれ、その実行委員をした時、マレーシアから参加したリャオ・プエ・ティンという演出家が、マレーシアの奥地では未だにマレー語が禁止されていると思っている人々が多く、マレー語を使ってもいいのだという事を教える為に、マレー語で演劇を上演している、と言う話をしてくれた。
私が演劇は社会ともっと積極的にコミットすべきだと考えるようになったのは、彼女の発言で目から鱗が落ちたからである。
つまり教育とは何かを禁止する事や、何かを強制する事ではなく、抑圧を解放する事なのだと、分かったからであり、その為の方法として演劇という直接的な表現が担う効果は非常に大きいのだと、気付いたからである。
人間を抑圧するものは、決してマレーシアの奥地だけではなく、むしろ都市と呼ばれるモノと情報が氾濫した場所の方が却って激しいのかもしれないのだから。

21、けが・病気。

人間どんな事をしていても、けがや病気は付き物である。
舞台の場合、仮設のセットだし照明などの吊りモノも多く、初めての場所や真暗闇での移動も多い為に、常にケガの危険と隣り合わせだ。
そうでなくても稽古中など、役者が自分の抑制を取り払おうとして、無理な動きの為にけがをする事もあるし、喉や腰に余分な負担をかけて、痛める事も日常茶飯事なのだ。
日本の場合かなり大きなプロジェクトでもない限り、アンダースタディ(代役システム)は着かないので、役者はけがや病気をかかえても、そのままやり通す事になる。
勿論、本番中のけがや病気で、どうしても舞台に立てず公演中止になる事もあるし、本番までにまだ時間があれば、代役を立てる事もあるが、そこまでの余裕がなかったり、なんとか舞台に立てる状態だったりすると、松葉杖をついてでも(あるいは車椅子に乗ってでも)舞台をやり遂げる事が多い。
当然舞台は予定していた状態にならない訳だから、これは一見観客をバカにしているように思われるかもしれないが、意外にそうした突発事故があった方が、舞台が生き生きしてくるから不思議だ。
つまり観客は芝居の物語を見ながら、実は人間の存在自体に興味があったりするからである。
けがや病気をかかえる事によって、役を正確には作れなくなり、そのぶん役者の生の人間の部分が舞台上に露出されることになるのである。
その事を舞台を作る側も観る側もよく知っていて、少々のけがや病気では公演中止する事もなく、観客も通常でない舞台を許す(あるいは期待する)のだ。
考えて見れば、舞台とは人生あるいは人間の合わせ鏡であり、人生において、けがや病気は付き物なのだから、風邪をひいたりおなかを壊したりしても舞台に立つのと同様に、骨折したり喉をつぶす程度のけがや病気なら、(あるいはどんな状態であろうと、舞台に立てる限り)それを背負って舞台に立つのは当然の事とも言えるのである。
さて、問題なのは妊娠した女優の場合である。(もちろん生もうと考えている場合だ。)
もちろん初めから分かっていれば、出演辞退する事もできるし、本番中にそれが分かる事も少ない。 たいていは本番直前に分かり、女優本人も動揺するし、回りの人間もそれに振り回される。なにしろ本番を向かえる頃が最も母体が不安定になる時期であり、その判断がそのまま小さな命に関わってくる問題だからだ。
かといって、「子供ができましたので公演を中止します。」と言う事は憚られる。しかも普通のけがや病気と違って、できない体ながらも無理をする、という訳にはいかないから、益々困ってしまう。
仕方がないので、無理をしないように、だましだましやり遂げる事になるのだが、当然舞台成果はさんざんなものとなってしまう事が多い。
妊娠も出産もやはり人間にとって付き物なのだが、この場合だけは、そうした状況も含めて舞台に上がる方法を私は知らないのである。(私が男だから分からないだけなのかもしれないが…。)